何かを得るために
何かを得るためには
何かを差し出さねばならないのだろうか?
もし、結果として病を得たのなら、
一体何を差し出したのだろう?
あるいは、何かを回避するために
病を起したのだろうか?
健全さを手放し
得たものが病であるなら
これほどバカバカしいことはないが
人は往々にしてこのようなことをしてしまうのだ。
それは、本心と理性の闘いに置いて起きることがある。
本心は誰にも止められない。
それを理性で押さえつけようとして
弱いところからエネルギーが漏れ出す。
それが病気となってあらわれる。
これとて、別の意味でマヤカシではあるが・・・。
つまり、自分で弱いと思っているところと
本当の弱さは別物だということ。
なぜなら、命にとっては生き延びるということが最も大切だからだ。
致命傷にはならないようにコントロールしている。
病を得たなら、早く本心に気づけと言われているのだ。
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