古い古い事
昔の傷が癒えないのはなぜ?
思い出しては腹が立ったり、悔しい思いをしたり、自分を責めたり、他人を責めたり・・・
こういうことって自分だけかと思っていたけど、
そうじゃないんだなあ・・・
そう癒えば、いつもあの人のことを言っているYさんも、
自分が言われて傷ついたーって言いたいのだなあ。
自分は悪くない、なのにこんなことを言われて驚いた、腹が立った、悔しかった、情けなかった・・・と言っている。
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その思いは、結局完結していないのだ。
本人に言いたかったけど癒えなかった・・・
癒えば更に酷い目にあうかもしれなくて、恐ろしい・・・
けれども、他の誰かに訴えても、
わかってもらえたと思えても、
自分の中に忸怩たる思いが残っている。
忘れようと思っても忘れられない。
普段忘れていても、ふと思い出すと、
あの時と同じ思い、同じ悔しさ、腹立たしさが襲ってくる。
そしてまた、誰かに聞いてもらって、一時的に晴れた気がするが、
数日経って、また同じ思いをしている。
同じ人に同じ思いをぶつける。
ただ、ただ、聞いてもらえるから・・・
Yさんはここ十年あまりこのようなことを繰り返している。
Sさんとの相性が悪いのだろう。
Sさんに言わせてしまう何かを持っているのかもしれない。
Sさんは嘘つきでもある。
被害者は少なからずいる。
ただ、みんなYさんほどには腹が立たない。
毎週のように同じことで愚痴をこぼしたりしない。
しかし、Yさんが執念深いというわけでもない。
Yさんは、皆にSさんの悪印象を植え付けようとしているのだろうか?
しかしそれはあまり効果的ではない。
Yさんは自分が被害者であると訴え、同情されたいと思っているのだろうか?
しかしそれもまた、あまり効果的ではない。
先ほど、完結していない思いがあると書いた。
つまり、ある忸怩たる思いに対して、
適切な・・・何だろう?
言葉なのか、態度なのか、両方なのか?何か求めるものがあるのだろう。
しかし、例えば「かわいそうに」とか「本当にひどいやつだ」とか
同調することを言ったりしてもおそらく気は晴れないだろうことは、
周りの人間は経験上知っている。
おそらく自分も同じ立場ならそうだと思うから。
ただただ、「ふ〜ん」とか「へ〜」などと相槌を打ちながら、
内心「また始まった」と思って聞いている。
「仕方ない」と思っている。
どう言って欲しいかみんな知っている。
当の本人Sさんから、反省の言葉が聞きたいのだということを知っている。
自分が傷ついたと同じだけの苦しみを味わって欲しいと思っていると周りは考える。
けれどそれは土台無理な話だと、本人も周りも十分すぎるほどわかっている。
そして、実際にに「ごめんね、悪かった」と謝られたとしても、
思いを遂げたことにならないということも知っているのだ。
なぜなら、それは、自分が、なぜそのことによってこうまで傷ついたのかという、
根本的な気づき、その時の自分にとってなぜそれが痛みとして感じられたのかというところ
にこそ、解決の糸口があるということに思い至ることを邪魔するために起きたこと。
そんなことは信じられないというだろう。
しかし、傷ついたのは、傷つけた自分がいたからなんだ。
そんな自分が許せないという循環の罠に、すっぽりはまっている。
もういい加減自分を許そう。
同じ罪で自分自身をがんじがらめにするのをやめよう。
自分に、自分を許すことを許可しよう。
恩赦を与えよう。
自分を許せない何かが他人を許せなくしていて、
そのことに気づくために何度も何度も同じことが起きていることを知ろう。
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