「治りたくない」のこころ
これをすればよくなるかもしれない、と言われても喜ばない。
実際それでよくなった、と聞いても疑う。
よくないからしないほうがいいよ、と言われてもついついしてしまう。
なんだ、【治りたくない】のか。。。
まあわからぬでもない。
人間は変化を怖れるのだ。
治りたいと言いつつ、治ればどうしていいかわからなくなる。
人間は幸せを怖がるのだ。
自分が幸せになってもいいのかと疑う。
また奈落の底に突き落とされるかもしれないと思うと現状のままでいいと思う。
治ると困ることもある。
障害者年金が受け取れなくなるのではないか?
発病して二十数年、いまさら働けない。
つまり、生存の危機だ。
ヘルパーも来てくれなくなれば一人ぽっちになる。
自分が困難な中でも頑張っていると主張できなくなる。
愚痴も言えなくなる。
これらは結構なデメリットだ。
今の不自由さを我慢すれば、自力で食事のしたくもできるし、
トイレも風呂も自分で何とかやっていけている。
そんなに長生きをしたいわけでもないから、
時々だるくてしんどくて、どうしようもないときもあるけれど、
なんとかこのまま穏やかな日が続いていけばそれでいい。
そんな風に思っているのだろうなあ。。。
あなたねえ、もう少し体がよくなったら世界が広がるよ。
ヘルパーさんに来てもらうより、自分がどこでも出向くことができれば
何も寂しくはないでしょ?
障害者でなくなっても少なくとも年金はあるし、
立派な子供たちから少しずつ援助してもらえばいい。
愚痴を感謝に変えて体験談を語っていたらたくさんの人が集まってくるようになる。
そうしたら、あちらこちらで「話しを聞きたい」と引っ張りだこになって
それで食べていけるようになるかも知れbない。
そうしたら、いつか書きたいと言っていた本もできる。
今、勇気を持って一歩踏み出そうよ。ね!
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