万人幸福の栞 第一 新世の発見
「新世」とはこの章を最後まで読まなければ理解ができ難いかもしれません。
個人的に今の時点では「発見」とあることから「新世」=新世紀(意識の)
ではないかと解釈しました。
この章の前段に
「*今日の視点から見ると違和感を覚える表現もありますが、歴史性を考慮して原文のままにしました。」 と但し書きがあります。
著者にいかに敬意を払っているかがわかります。
それをなんとか自分流に読み解こうとする私は、いかにも傲慢であります。
お読みくださる方がいらっしゃれば、それを踏まえた上でお読みくださいますようお願いします。
「万人の希望
『楽しく暮らしたい、幸福に生きたい』これは万人の希望であります。」
この言葉は時代を背景した言葉であるし、
見方を変えれば「本当にそうだろうか?」と疑問を挟む向きもあるかもしれない、
と思ったりします。
「闇夜に光」で、光ばかりの世界がいいとは言えないという・・・。
(私たちの魂は光の世界から闇?を体験するためにやってきたと、まあ、信じる人もいるわけです)
「希望」はいつの時代も必要ですが、それは「楽しい」や「幸福」と=(イコール)ではないかもしれません。
ことほど左様に現代社会は毒されている、ということもが言えるのかもしれません。
実際のところ「希望」だけがこの世のよすがではないかと考えます。
希望があるから、人は生きているわけです。
希望の中身は人それぞれ違っていても・・・です。
この著者の生きた時代は「楽しく、幸福に」が希望の中身だったと思います。
「民族が一度嘘つきの味を知り、ドロボウの癖がつけば、正義(よいこと)を守るとか、勤労(はたらき) をたっとぶとか、そうした正しい人はなくなって、アヘン中毒にかかった人のように、次第に深みに落ちて、自滅(ほろび)の道をたどるほかありますまい。わが国は今、こうした衰亡の道を、非情な勢いで降っているのではないでしょうか。」
*正義、勤労、自滅にはそれぞれ()内のようなルビがふってあります
敗戦後の日本の状態はこのようであったということのようですが、現代社会においても人心は変わりないように思います。
当時、この万人の幸福の栞がどれほど普及したかはわかりませんが、戦後の混乱期の希望の礎になったであろうことは想像にかたくありません。
そして、今また、これを声を大にして広めてくださっている人が現れているという現象こそは、現代もまた、この心の指針ともいうべきこの栞が、日本人の潜在意識が求めているということに他ならない、と思うわけです。
今日はここまでとしておきます。
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